グラスハウス物語

自転する地球の力に逆らって旅をつづけた'60年代から'70年代。
私は日本と北アメリカを結ぶ、地球の緯度に沿って旅をしていた。
それが'80年代'90年代になると、地球の経度に沿って
日本と赤道の島々、地球の南北を結ぶ磁場の力に従順な旅となった。
住み慣れし家と、住み替わりし家々。
それぞれの家の壁に掛けられた鏡に、自分の姿を映してきた。
それらの鏡の中には、見るべきもの見たいものの指標があった。
心の中からわきいづるもの、心の共鳴するものたちであった。



1983年、熱帯の島バリに降り立った。旅先で見つけた異空間に、ふと足を止め、心を澄ませて対峙する。外界と隔絶された時の流れがそこにあり、聞こえなかった音、見えなかった世界があった。

椰子の木を磨き柱を立て、萱で屋根をふき、珊瑚礁の岩で壁を築く。
草の家、スタジオ・グラスハウスの日々が始まる。

糸を染め、布に織り、自分の気に入ったキルト制作の基布をつくる。
一枚のキルトを超える次なるキルトをと、没頭していった。

日暮れから夜の闇へ。生き生きとした昼の扉を閉じ、静かになったスタジオ、私は庭の石像たちに火を灯す。闇の暗さはいっそう深まる。夜の暗闇の中で人は何を発見するか、視覚はよりいっそう敏感になり、しだいに感性が研ぎ澄まされ醒めてゆく。鳥や動物たちのさざめきも、上空から落ちる椰子の実の音も自然の律動、人に支配されるものではない。グラスハウスは、こうして創造の“0”座標からの出発点となった。






熱帯や自然の中には、光合成による豊かな彩があった。私は豊かな草木や自然の中から彩を抽出し、次々と糸や布に染めてゆき、聞き伝えられた伝統の技術を確かめ、山や森や村に入り、手に触れるさまざまな素材から彩を布に映す、未知なるものへの遭遇や発見の大きな糸口となった。一つのものを一方向から見るだけにとどまらず、多次元の中で物を見、経験を積むことで人は目覚めてゆく。

グラスハウスの一日は、地上に散ったジャスミンの花集めから始まる。そしてリリグンディ(ほうの実)を焚く。萱ぶき屋根を燻し、蚊や羽虫を追う。軒先から庭に流れるやわらかい煙と香りは心に潤いをもたらす。1年の暦が人々のよるべき軌範であるバリでは、朝な夕な神に祭華、祭粢を捧げる。5色の彩と共に供えるジャヌール、椰子の新芽でつくった小さな依代、編み、つなぎ、布を扱うようにピースワーク、アップリケをしてさまざまな形をつくる。自然から自然の恵みを、自然にお返しするように淡々とつくりつづける。

“Quilting for the lord” 神に捧げるキルトをつくりつづけるメノナイトの女性たちの風景が蘇ってくる。
かつて私の住んでいたカナダ東部の町トロント郊外にあるコミュニティ。メノナイトの女性たちにとってキルトメーキングは生活の機軸であった。彼女たちの住んでいる家や集会所、教会の地下室にはいつもキルトが大きなフレームに掛けられていた。ひたすら針を動かし、人の心の余白に潤いとぬくもりを送りつづける。女性たちが守るべき生き生きとした精神性がそこにあった。地球の枢軸を通して共通した心豊かなもの、流れゆく雲を追う無心なる境地があった。